2011/07/24

[感想文]藤沢武夫「経営に終わりはない」



概要


本田宗一郎と共にホンダの興隆を支えた藤沢武夫の手記。
宗一郎との出会いから引退までの出来事が、藤沢の視点から綴られている。
若干時系列が前後する部分があるが、概ね語り口調で読みやすい。



感想



■宗一郎と藤沢という二人の天才

「本田宗一郎の壮大な夢を現実に活かすこと、それがわたしの仕事ですから」

この言葉通り藤沢は、本田技研のヒト、モノ、カネを受け持ち、技術と製造を一手に受け持った宗一郎と二人三脚で、町工場から始まったホンダを世界的企業に育て上げる。
そして昭和48年の引退まで理想的な関係を保ったまま、次代へバトンを渡した。
多くの場合、天才同士は長く共に歩むことはできない。
必ず軋轢を生じ、袂を分かつものだ。
そうならなかったのは、稀有な条件が重なった上でのことだと思う。
まず藤沢の根源的な欲求が、金や名声ではなく「自分の力を存分に発揮したい」という欲求であったことが大きいだろう
藤沢ほどの経営者なら金や名声を手に入れるだけなら宗一郎を必要とはしなかったはずだ。
だが藤沢は、歴史に残る大きい仕事をするためには、宗一郎のような天才の力を活かすことが必要なのだという、大局的な視点を持っていた。
そしてホンダの成長と共に大きな利益と名声を得ても、その軸はブレなかった。

本田宗一郎もまた、自分と同質の清廉さを持った藤沢を信頼した。
どんな困難の中でも、最後まで信頼した人間に全てを預ける器があったことが非常に大きい。
お互いの高い期待に最後まで応え続ける能力、人間としての清廉さ、そして器の大きさという条件を全て満たせなければこの関係は続かなかっただろう。

■藤沢から見た宗一郎

失敗をした部下に対して暴力を振るうこともあったほど激しい気性で知られる宗一郎だが、藤沢の視点からは奥ゆかしい一面を見せる。
「本田はあれだけの技術者でありながら、自分から設備や機械を欲しいと言ったことがない」
技術者がより優れた設備をほしがらないわけはないが、ホンダの台所事情も決して楽ではなく、宗一郎も遠慮していたのだろう。しかし宗一郎は、与えられた条件の中で文句は言わずベストを尽くして結果を出した、と藤沢は語っている。

また藤沢は繰り返し、日本の機械工業における宗一郎の絶大な貢献を強調する。有名な視察先から+ネジを拾って持ち帰ったエピソードもそうだが、とにかく技術者としての宗一郎に全幅の信頼を置いていたことが言葉の端々から読み取れるのである。
それだけ信頼できる技術者が居る会社というのも羨ましいものだが、しかしこれだけ本田宗一郎に惚れ込んで、その特別な才能を活かすための会社を創り上げた男がテーマにしたのが、宗一郎のいなくなった後、更に高いレベルに飛躍していける組織作りであったというのは皮肉めいている。


■経営者としての藤沢武夫

自分の人生に対して「誰かを補佐することで自分の力を発揮したい」と思っていたことからもその素質を感じることができるが、小さな町工場から始まった本田技研を、近代企業へと成長させる上でのグランドデザインを描ける希有な経営者であったと思う。
「松明は自分の手で」の言葉通り、他社のマネでない己の経験や失敗から販売店システム、業務システムを作り上げ、宗一郎という究極のエキスパートを軸にしたエキスパートを活かす組織を創り上げた功績も絶大と言える。

今日の製造業界が抱える課題の一つとして、職人の技術承継の問題があるが、藤沢武夫もまた本田宗一郎という特別な人間の跡を継げる組織を創り上げることをテーマとしていた。
その答えが「長」という形に縛られない、エキスパートが有機的に結合した組織だったわけだが、今日の問題にも繋がる一つの答えではないかと思う。

また、スーパーカブの開発のようなマーケティング分野まで藤沢のアイデア主導で進んでいたとある。単なる優秀な事務屋ではなかったのである。


■社長は技術畑であるべきか?

藤沢は「ホンダの社長は技術畑の人間であるべき」とはっきり言っているが、つまりそれは経営と社長業を分離しておくという、かなり斬新な発想であると思う。
これは本田宗一郎と藤沢という特別な二人の人間の出会いによって成立した特別な形なのではないかな、という気がする。

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