2013/06/11

[感想文]山本七平 「日本資本主義の精神」




三行レビュー

なぜ日本にはブラック企業などというものが存在するのか、どうしてなくならないのか。1979年に山本七平が指摘していた答えがこれ。日本人の不思議な労働観と日本式資本主義の正体に迫る論考。

概要

日本において資本主義がこれほどの成功を収めたのは、日本固有の社会構造や精神性が資本主義という仕組みを非常に上手く利用できるものだったからである。


日本固有の社会構造とは、機能集団(企業や軍隊)が常に共同体(家族や地域社会)でもあるという二重構造を指す。日本人の集団には、何かの機能を持ったときそれが擬制血縁集団のような共同体に転化するという特徴がある。そして機能集団での「功」が共同体での序列に転化される。それは、労働を宗教的修行と考える日本人の倫理観によるものである。労働が日々の糧を得るための手段であると同時に宗教的な行為でもあるために、企業は利益を追求する機能集団であると同時に、日本人的労働観という倫理で繋がれた共同体となるのである。
この倫理観のルーツは徳川時代の思想家鈴木正三石田梅岩に求めることができる。
鈴木正三の思想とは、仏道の追及とは労働によって世間の役に立つことで達成できる。そのために結果として利潤が伴ったとしても問題ない、というカルヴァン主義にも近いものである。
石田梅岩の思想は正三の思想を基本に、「形は心なり」「自制は秩序」という考え方を持ち込んだものだ。「形は心なり」とは宇宙の真理、原則というものと内心の秩序をつなぐものは自然によって与えられた「形」であり、たとえば馬なら草を食べる、人間は労働によって糧を得るという形を守ることで内心の秩序と宇宙の原則を一致させることができる=仏道の追及になる、という考え方である。(ゆえに日本においては「不自然だ」という言葉が非難の意味を持つ)
また梅岩は「倹約」を説く。倹約こそ合理性の追求であり、合理性の追求はすなわち人間の形であり心であると。
石田梅岩の開いた石門心学が江戸時代に日本中に広まり、その後の日本人の労働観に大きな影響を与えることになった。


感想

非常に面白い説だと思った。いろいろなことが腑に落ちる。 ただ茶を飲めば茶道、剣術を学べば剣道、花を生ければ華道と、なんにでも精神的修行としてしまう日本人の性質として、労働も当然「道」化されているというのは納得がいく。 労働が単なる雇用契約でないから上司が帰るまで帰れないとか、有給がとれないとか、そもそも誰も就業規則を読んでいないとか、そういうことが自然なこととしてまかり通っている。
法規は、伝統的体制を維持するため、必要に応じて利用されるのであって、そこに提示された原則通りに組織を運営するということではないのである。
「日本資本主義の精神」 91P
見えざるルールを破ったものにを制裁するために表のルールが利用されるということは今でも変わっていない。堀江貴文やPC遠隔操作事件の片山などはまさにこれであって、法の番人が率先してこのような運用をしていることが良い例だと思う。

この本が書かれたのは1979年であり、おそらく2013年現在よりももっとこの「見えざるルール」の力は強かったのだろう。世代交代にしたがって少しずつこのルールの及ぶ範囲や力は小さくなっているが、そのためにルールを親世代から受け継いでいない世代と旧世代との軋轢が増しているような気がする。なんというか、たしかに旧世代とは仕事をしていても何を言っているのか分からない、行動原則がよく分からない、ということがある。

働くことが即美徳とされる社会、ブラブラすることが悪徳とされる社会は(中略)実際には仕事がなくとも忙しく振舞っていないと、本人が心理的に不安になるという状態を引き起こし、また、共同体から疎外されているという不安を感ずる。
「日本資本主義の精神」232P

どこのあるあるネタですか。
必要なものを必要なときに必要なだけ回すことで、必要もなく動いて生産性を落とす者が出ないようにする工夫がカンバン方式の始まりである、というのは非常に面白い。
じゃあひょっとして海外にジャストインタイム持って行っても意味ないんじゃないでしょうか。

また、日本人の社会には神との契約という概念がなく、それに代わるものは人と人との話し合いであるという指摘も興味深い。

しかし、このルールが次第に力を失いつつある今、状況はさらにめんどくさいことになりつつある気がする。このようなルールに触れる機会である地域社会や親戚付き合いといった地縁、血縁関係が薄まる一方で、社会に出て旧世代や役人と付き合ってみれば、彼らは厳然としたこのルールの中にいる。教わってきたことと実際に社会を動かしているルールが違う。社会情勢も変わり、終身雇用も崩壊する中で、無自覚にそれを前提とした見えざるルールがまかり通っている。
過渡期を生きる我々にこそ、このような考察の存在を知ることが必要なのではないかと思った。

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